【遺族代表挨拶


                          遺族代表   渡 辺 俊 也


 

 愛知県から参りました矢矧軍医長の長男の渡辺でございます。

まず最初に、大和・矢矧・冬月・涼月・磯風・濱風・雪風・朝霜・霞・初霜の十隻で編成された特攻第二艦隊の戦没者を慰霊するために、このような立派な平和祈念展望台を造営してくださいました元枕崎商工会議所会頭の岩田三千年様を初めとする多くの篤志家の方々に篤く御礼申し上げます。  また、長年にわたり戦没者追悼式を続けてくださいました奉賛会や地元の関係者の皆様方、参加されてこられたご遺族や戦友の皆様にも心から御礼申し上げます。本当に有難うございました。

 奉賛会の岩田三千年様からご依頼があり、亡き父の思い出や遺族としての気持ちをお話しするよう申しつかりました。

 父は、京都府立医大在学中に結婚しまして、昭和14年の卒業と同時に海軍を志願し、私が母のお腹にいた頃は東京築地の海軍軍医学校で学んでいたと聞いております。軍医学校卒業後、朝鮮の鎮海に赴任しましたので、母は昭和153月に生まれた私を伴って鎮海に赴きましたが、乳児であり、何も覚えておりません。3歳になる少し前、呉へ転勤しましたが、私が起きる前に出勤し、眠った後に帰宅していたため、父の記憶は殆どございません。当時、「お父さんはどこにいるの」と何度も尋ねたそうであります。母が指先で教えてくれた先には長い下り坂があり、坂道の向こうに海が広がっていて、大きな島と沢山の船が見えたことだけを覚えています。江田島と在りし日の連合艦隊の雄姿であったと思われます。その後、愛知県の挙母(現在の豊田市)の航空隊に転勤となりました。官舎に住みましたので、父は朝晩はいつも傍にいてくれました。一緒にお風呂に入ったり、相撲を取ったり、人目の少ない時には近所の土手でタコ上げをしたりして、父と一緒の時間を過ごしたことを今でもはっきりと覚えております。しかし、楽しかった記憶はわずかで、母がお産のため私を連れて実家に帰っていた昭和1911月に、転勤命令が下り、父は、生まれたばかりの弟の顔を見ることもなく、呉へと出発いたしました。そして、12月の何日かは分かりませんが、軍医長として矢矧に乗艦いたしました。昭和203月、祖父・母・私と弟の4人で京都駅前の旅館で一泊したのが、父との最後でした。灯火管制のため部屋は暗かったことは覚えていますが、久しぶりに父と食事ができ、はしゃぎ過ぎて私は直きに眠ったと母から聞きました。父は初めて見る弟を一睡もしないで抱き続け、朝5時前、私が眠っている間に旅館を出て、矢矧へ戻ってゆきました。

 戦死の公報が届いたのは私が満5歳を過ぎた時で、父の実家では軍楽隊も出る葬儀が行われましたが、人前では泣くことができない祖母や母の悲痛な顔は忘れられません。

それから時が経ち、中学1年の時に、「戦艦大和」という映画をみました。大和の軍医長役と思われた俳優さんが、出撃する前夜、ウイスキーの角瓶を持ってガンルームの若い将校さん達に飲ませるシーンがあり、やがて大和は沈没し、多くの方が浮き沈みするシーンがありました。父の姿とダブって見え、泣けて泣けて涙が止まりませんでした。その映画が原因となり、それ以降、戦記ものの小説や映画、テレビのドキュメンタリー番組からも目を反らすようになりました。父の後を継いで医者となりましたが、47日は学会や年度初めの行事と重なることが多く、慰霊行事には参加することなく過ごして参りました。

 ところが、私の長男が、戦死した父の軍歴を調べている途中で、池田清様が書かれた「最後の巡洋艦・矢矧」という著書にめぐり会い、資料を提出された池田武邦先生を長崎のお宅にお尋ねし、洋上慰霊祭にも参加しました。私も「最後の巡洋艦・矢矧」を何度も読み返し、海軍が終焉に至る有り様を知ることができました。長男に背中を押され、平成204月から戦没者追悼式に出席させていただくようになり、生存者の方々から色々なお話を伺いました。とりわけ「職責でしたから」と言われた言葉には胸が締め付けられ、父も「職責として、死地に赴く覚悟をしていた。」ことがヒシヒシと分かりました。また、佐世保の東山海軍墓地にも参拝し、戦友やご遺族の方々のご尽力で立派な慰霊碑や戦没者名碑が建てられていることを知り、何故もっと早く慰霊行事に参加しなかったかとの自責の念に駆られております。誠に申し訳ないことでございました。心からお詫び申し上げます。このような追悼式は今年が最後になるとのことでございますけれども、私は、これからも47日にはこちらに参り、西南方の海底に眠っておられる三千七百有余名の戦没者のご英霊に合掌させて頂き、この眼下に広がる海がとこしえに平穏であることをお祈りさせて頂くつもりでございます。

 最後に、本日の追悼式を開催してくださいました奉賛会の皆様方やご参加いただいた自衛隊の方々に感謝申し上げるとともに、ご列席の皆様方のご健勝を祈念いたしまして、遺族挨拶とさせていただきます。本日は有難うございました。

 

 
 平成24年4月7日

 
   ー平和祈念展望台奉賛会ー