児童代表の言葉
枕崎は私の母の故郷です。そこには、祖父母が住んでいるので、小さい頃から夏休みになるとよく遊びに行きました。 私には大切な思い出がつまった所です。
冬休みに尋ねたとき、祖父が今から六十六年前に起こった悲しい出来事を話してくれました。 日本がアメリカと戦争をしていた昭和二十年のことです。
「アメリカとの戦争のために、沖縄に向かっていた戦艦 『大和』 が、枕崎沖で雷撃機に攻撃され沈没したんだよ。 そして、三千人余りの尊い命が失われ、 『大和』 と共に海底深く今も眠っているんだよ。」
と祖父は、大事にしまっておいたものをひもとくように、ゆっくり話し始めました。
その時、祖父は十一才。将来の夢は、立派な兵隊さんになることだったそうです。 私は今、その時の祖父と同じ十一才です。 死ぬかもしれない兵隊さんに、夢をたくすなんて私には想像もできません。そう言うと祖父は、「兵隊さんは家族を守るため、未来を守るためという強い使命感に燃えて、戦争に行ったんだよ。命がけでね。」と教えてくれました。また、亡くなった人の中には、自分とあまり年の差がない十七、八才の少年兵が多くいたことを後で聞き、胸が張りさけそうで辛かったそうです。
祖父が話してくれたことは、私にはあまりにも衝撃的でした。 四月のまだ冷たい海に投げ出された三千人余りの隊員は、どんな思いで亡くなったのかと、涙が止まりませんでした。 きっと未来に向かって、生きたかったに違いありません。 そして残されたご家族の苦しみ悲しみを思うとき、どんなことがあっても二度と戦争をしてはならないと思いました。
私は今、戦艦 『大和』 と共に、隊員が眠っておられる東シナ海を望み、火の神公園に立っています。ここからは、おだやかな青い海がどこまでも広がり、六十六年前のあの悲劇があったとは思えないほどの美しい光景です。 隊員が、お国のために、未来のためにと尊い命を犠牲にして、平和の礎になってくださったからこそ、今のこの平和があることを私たちは忘れてはならないのです。 そして、今度は私たち一人一人が、平和の意味と戦争の悲惨さを、語りついでいかなければなりません。そのことが、戦争でなくなった人々への恩返しになることだと強く心に刻みこんでいきたいです。
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