【追悼文奏上】


  
「祈りの言葉」
                                        
 
                      鹿児島県立鹿児島水産高等学校三年
                          生徒代表  阿久根 真也



海上特攻第二艦隊戦没者追悼式に臨み、数多(あまた)の戦いによって、かけがえのない命を失われた方々に対し、心から哀悼の意を表します。

また、本日は、追悼式に参列できましたことを光栄に感じます。

 私は先の大戦終結から五十年後、この平和祈念展望台が建立された年に万世で生まれました。

 万世には戦時中に建設された万世飛行場があったそうです。飛行場の使用期間が約四ヶ月間と短かったこと、また、さまざまな面で知覧飛行場と混同されたこともあり、万世飛行場は世間の人々から見過ごされ「幻の特攻基地」などと言われていましたが、昭和四十七年に飛行場跡地の一角に万世特攻慰霊碑「よろずよに」が建立され、さらに平成五年には「万世特攻平和祈念館」が開館しました。

 そんな万世という土地に生まれ育った私は、これらの施設を通じて「戦争」というものを感じてきました。その中で私の印象に強く残っているのは出撃前の特攻隊員が遺した最後の手紙です。「お国のために敵艦めがけて体当たりして参ります」とか「祖国の家族を守る盾となり、立派な最期を遂げてきます」といった力強い言葉の裏にどれほどの恐怖と不安があったことか。私には想像することすらできず、胸を強く締めつけられるような思いがしたことを今でもはっきりと覚えています。

 しかし、同時に自分の感じたこの思いは後生に語り継いでいかなければならないという使命感を感じました。そこで私は、もっと戦争について詳しく知りたいと思い調べてみました。その中で戦艦大和をはじめとする第二艦隊の存在を知りました。

 世界最大最強の不沈艦と呼ばれたその艦(ふね)は、今、この東シナ海に英霊と共に眠っています。

 地球上では、いまだ戦火の絶えない国もありますが、幸せなことに日本では半世紀以上の平和が続いています。これも、国を、民族を、そして家族を護るために戦って、命を捧げてくださった皆様のお陰であると感謝します。今、私たちは皆様方の築かれた礎のもと生きています。しかし、このことを忘れてきてしまっているような気がします。六十七年という年月は、あの大きな犠牲をも忘れさせてしまうのでしょうか。

 私はこの礎のもとに生かされているという事実を風化させてはいけないと思います。


            
                             平成24年4月7日
 
   ー平和祈念展望台奉賛会ー