【追悼文奏上】


    
 

児童代表の言葉
                            
                                     池田学園池田小学校 6年 栗野歩夢未


ここ枕崎は、私の祖父母の住む町です。父が育ったところでもあります。今、私が立つ火之神公園は、毎年夏になると両親や祖父母、それからいとこのみんなが集まり、お弁当を囲み、一日を楽しく過ごす思い出のある公園です。

 例年のようにみんなが集まったとき、祖父が枕崎の沖を指して、

「今から65年前、あの辺りが戦場となって、戦艦『大和』が攻撃され多くの尊い命が失われたんだよ。」と、重い口調で話し始めました。

「その時、多くの兵隊さんがこの海岸に流れ着いたんだよ。その姿を見た枕崎の漁師さんたちは、沖へ船を出し助けに向かったけれど、命を救うことはできなかったのだよ。」

祖父は思い出してもつらそうでした。私は、冷たい海に投げ出されて亡くなった3721名の皆様のことを思い、胸が苦しくなってきました。そしてまた、残されたご家族の悲しみはどんなにか深いものであったろうと涙があふれてきました。

 私は祖父の話を聞きながら、ひいばあちゃんの家に大切にしてある一枚の写真を思い出していました。写真の人は若い男の人でした。その人は私のひいじいちゃんで祖母のお父さん。祖母が生まれる前に戦争で亡くなったと聞きました。だから祖母は自分のお父さんに一度も会ったことがないのです。戦争はなんと悲惨なものなのでしょう。ひいばあちゃんも祖母も、これまで戦争の苦しみや悲しみを背負って生きてきたことを、話してはくれませんでした。でも、いつも私に「けがや病気に気を付けて、命を大事にするんだよ。」と声をかけてくれます。それは、ひいばあちゃんや祖母が体験してきた戦争の悲しい思い出と命の尊さを、誰よりも知っているからだと思います。

私にはこの海で眠っておられる皆様と、写真でしか知らないひいじいちゃんの姿が重なってみえ、いっそう悲しくなりました。

 人間同士が憎しみ合いの心を持つ戦争から何が生まれるというのでしょう。私にはとてもおろかなことに思えます。亡くなられた隊員の皆様も私のひいじいちゃんも、今を生きる私たちのために平和の礎になってくださったのではないでしょうか。

今の平和な世の中は、多くの尊い命の犠牲で築かれたことを、私たちは忘れてはならないと思います。

 私は今、11才。自分にできることは何かを考え、しっかり勉強して私たちの世代で戦争のない平和な世界を築いていかなければなりません。見ていてください。

国や家族の未来を守るために犠牲となられた皆様の思いを私は決して忘れません。そしてこの立神岩が見守る枕崎沖のきらめく海に、平和を祈る多くの魂が眠っていることも忘れません。


                                         平成2347日 




 
   ー平和祈念展望台奉賛会ー