【追悼文奏上】


    
 

今、思うこと
 

                        鹿児島県立鹿児島水産高等学校3  生徒代表  


私は小学生の時、「戦争」について習いました。「戦争」とは武力を行使して戦うことで、「戦争からは悲しみ、憎しみ、犠牲といったことしか生まれません」と先生は言いました。その当時は、あまり理解できなくて、ただ言葉を覚えていただけでした。

 やがて中学、高校と進むにつれ、ニュースなどで「戦争」の恐ろしさや被害を知るようになりました。

 そんな時、「亡国のイージス」という小説を図書室で見つけました。あらすじは荒唐無稽なフィクションで、それなりに楽しんで読みました。その小説の中で、一人の若者が記した論文があります。小説のタイトルにもなった、その論文が私の心に残りましたので、その一部を紹介します。

『真の国力とは、国家資産や経済力、軍事力などではなく、その国が培ってきた普遍的な価値観、歴史、文化であるにもかかわらず、我々日本人は「日本とは何か」「日本人として何を誇るのか」という自らの問いかけすら忘れ、唯一のイデオロギーであった『恥』という概念も捨て去り、世界に向け主張できる価値観など、とうになくしてしまった。そして、それが国としての存在に関わる、根源的な問題であることに気づこうとすらしない。今、この国はすでに国家としての有り様を完全に失ってしまっている。日本はもはや、『亡国』と化してしまったのだろうか』・・・  (中略)

 この国の未来を背負う無垢なる命達に、今、我々は何を手渡し、何を託す事ができるのだろうか?この日本という国を、彼らが受け継ぐに値する国にする為に、我々は何をするべきだろうか。

この文章を読んで、私はかつて、この日本という国が参加した「戦争」について考えました。そして、その頃の日本人は誇るべき価値観、歴史、文化を持っていて、それらを守るために戦ったのではないかと思いました。

 第二艦隊に乗り組んでいた若者も、死にたくて死んでいった人はいないはずです。

日本の未来のために命をかけた方々です。その人達は、今の日本を見てどう思うでしょうか。その人たちが命をかけて守りたかった国の形、国家の有り様が、はたしてあるでしょうか。

 先月発生した、東日本大震災では、自衛隊員をはじめとした、命がけの救難活動が繰り広げられました。この国民の為に命をかけるという、一種の価値観こそ、誇るべき日本人の心ではないかと思います。

 「戦争」は決して良いことではありません。しかし、大切なものを守るためには、時には「盾」となる覚悟も必要なのではないかと思います。私たちは、国の為に戦った方々に誇れる国、守るべき価値のある国を築きあげていきたいです。

平成二十三年四月七日

 
   ー平和祈念展望台奉賛会ー